ゲームにハマる日々について

宇陀直紀です。

前回「不登校で家に居る時に思ったこと」について書きました。

「学校に行きなさい」「将来どうするの」と周囲からの不安な言葉を投げられ、自分自身と向き合いしんどくなる、ということが学校に行かなくなった頃の自分自身の日常だったと思います。

不登校になりフリースクールに通い始めるも、長期間休むことがありました。家でひきこもっている多くの時間をオンラインゲームに費やしていました。毎日朝起きてから夜寝るまで、平均10時間くらい没頭していたと思います。

ゲームに没頭していたことで、余計に心配されたり、不安な言葉かけが増えていったと思います。もちろん、一日中座ってゲームばかりしていることは、体にも悪いし、時間の使い方として良いとは言えないかもしれません。なぜ、ゲームばかりしていたのか考えてみたいと思います。

1つに、ゲームをしていると「いやなことを考えなくて済む」ということが大きいと思います。何もしていないと、つい色々と考えてしまいます。良いことも考えますが、当時の自分にとって何もしていない時間は、苦痛でした。自分自身に向き合う時間は、マイナスなことばかり考える時間になってしまっていました。そのため、それをかき消すようにゲームに没頭していたのではないかと思います。

2つに、ゲームを通してネット上で友だちができることで、親以外の話す相手ができます。誰かとの「つながり」を持っていることは生きる上で必要なことです。不登校になって家で居ると、親以外とのかかわりが減ってしまう・なくなってしまうことが多いのではないかと思います。ゲームの中で他のプレイヤーとチャットをして仲良くなることを通して、「つながり」を感じることができていました。

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不登校・ひきこもりを経験した若者とまったりかたろう会(11/23)

宇陀直紀です。

前回私が書いた「不登校で家に居る時に思ったこと」の記事文章が、下記イベントチラシの冒頭に掲載されました。内容は思ったことそのままで、上手な文章ではないのですが、、

教育関係や当事者の方が多く参加されるイベントということで、とてもうれしく思います。

イベント情報はコチラ↓

【不登校・ひきこもりを経験した若者とまったりかたろう会】

不登校・ひきこもりを経験した若者とまったり語り合うかい

日時:11月23日(木・祝)13時~16時45分※懇親会18時~20時

場所:奈良教育大学 山田ホール(JR・近鉄奈良駅からバスで高畑町下車)

参加費:500円(学生無料)

主催:なら民主教育研究所

共催:奈良教育大学 次世代教員養成センター学校・地域教育支援領域、奈良県登校拒否を克服する会

不登校という呼ばれ方

こんにちは。最近よく仕事、プライベートともにキャンプに行っています。いちるの上村です。

学校へ行かないことを不登校と呼ばれますが、当時僕は不登校をしているとは自分では思っていませんでした。ただ学校に行きたくないから行かなかっただけで、それを不登校と捉えられると、気分はあまりよくありませんでした。とはいうものの、話の伝わりやすさから当時の話をするときは、昔は不登校だったと言っています笑

不登校という言葉を簡単に解釈してみると、「不登校=登校しない」。たしかに学校へ登校しないことは、不登校と呼べるのかもしれません。しかし「不」とういう文字が付くと、何か悪いことでもしているかのように感じてしまいます。学校へ行かないことは悪いことではなし、学校へ行くことが正しいことでもありません。学校へ行かないことで、法的に罰されることもありません。

何事もなく学校へ通っていた人にこのことを話すと、たいてい納得してもらえません。「学校へ行った方が行かへんよりええやん」、「学校へ行くのがあたりまえやろ」と言われます。それは、僕に相手を納得させるだけの知識や能力がないからなのかもしれません。今の僕には、学校へ通っていた人たちの考え方を変えたり、世間の不登校のという呼び方を変えさせたりはできません。だから、まずは今学校へ行けなくて苦しんでいる人の支えになりたいと思っています。「いちる」で活動する理由は、この気持ちからきているところもあります。

学校へ行かないことが少しずつ認められてきているとはいえ、学校へ行かないことでしんどい思いをしている人はたくさんいると思います。何も悪いことはしていないのですが、僕も当時はしんどい思いをしていました。学校へ行かない方が有意義な生活を送れる。そう思えるならその生き方で良いと思います。

9月1日は一年で最も自殺者数が多い日らしいです。自殺なんかしないで、家で寝転がって堂々とゲームでもしてやりましょう!家に居づらい人は、チャリンコでちょっと遠くまで旅をしにいきましょう!(実際僕は学校サボってチャリンコでブラブラしていました笑)

私の不登校経験、その後

伊藤雅孝です。前回は中学までの不登校経験について書きました。

今回はその後、現在に至るまでの経緯について書いていきたいと思います。

・高校時代

中学三年になり、高校進学を考えた私は色んな学校を調べ、「単位制通信制総合学科」の高校に進学しました。

この高校は通信制ではあるものの、家での学習ばっかりではなく週3日は学校にも通う、毎日学校に行くのはしんどいけど少しは行って友達を作ったりしたいという私にはぴったりの学校でした。

担任の先生もカウンセラーの資格を持っており、私が学習する上で困ったことがあるととても親身になって相談に乗ってもらったりと、学校が私にとって初めて居心地の良い、落ち着ける場所だなと思えるようになりました。

この学校に3年間通ううちに、不登校の時に乱れていた生活リズムが整ってきたり、友達が増えたことで外に出る機会が多くなりました。また、現在志している様々な理由で学校に行きづらくなった子供達をサポートするスクールソーシャルワーカーになりたいと思い出したのも高校時代でした。

・大学入学から現在

高校を卒業後、私は通信制の福祉大学に入学します。この大学は、基本家でパソコンやタブレットを使い学習するスタイルで、スクーリングといった外に出て授業を受ける機会は月に一回あるかどうかです。

そのせいか高校時代は週3日あった外での学習の機会が大幅に減った私は、家に居る時間が多くなりました。すると、外に出るのが少しずつ怖くなっていき、月一回の授業以外の日は家に引きこもることがほとんどになってしまいます。

家に引きこもると、「他の子は毎日学校に行ったりバイトしたりしているのになぜ自分は何も出来ないんだろう」とだんだんネガティブな思考に陥るようになりました。

終いには、月一回の授業を受けに行く為に電車に乗るだけで目眩や頭痛が出て来て外に出るのが困難になりました。そして、精神科を受診すると、「抑うつ神経症」と診断されました。

そこからは、治療の薬を飲んだり、近所を散歩やサイクリングする運動療法を取り入れつつ、しんどいながら自分のペースで外に出ることを目指した一回生の一年でした。

二回生になると少し症状が落ち着き、月一回のスクーリングは行けるようになります。

そして、もう少し外に出る機会が欲しいなと思っていた時にたまたま新聞に入っていた折り込みチラシに目が止まります。そこには、引きこもりの人を対象とした就労訓練があると書いてありました。

私はバイトをしたいと思っていたのですが、いざ面接を受ける、電話をかけるという段階になると途端に恐怖心で溢れてしまい、バイトを出来ていませんでした。

引きこもりの人が対象ということで、少しハードルが下がった面もあり、就労訓練に参加してみようと思いました。

就労訓練では、ソーシャルスキルトレーニングや、実際の介護福祉施設でスタッフの方に色々教えて頂きながら働いてたりしました。

最初はしんどかったのですが、スタッフの方が仕事にかける思いなどを聞いているうちに外に出る、また働くのが楽しくなってきました。

そして、現在は三回生になり、就労訓練の時に紹介頂いた放課後等デイサービスで働きつつ、今まで書いてきた様な経験を活かしたことがしたいと思い、この「いちる」で活動しています。

不登校経験の意味付け

どうも、いちるメンバーの藤井 晴です。

前回は私の不登校経験について記事をかかせていただきました。

リンク:https://naraichiru.wordpress.com/category/%e6%9c%aa%e5%88%86%e9%a1%9e/

今回の記事では前回の記事に続いて私の不登校体験について書きます。

「不登校経験がある。」と人に話すと、 「その経験をどう思っているの?」とよく聞かれます。

この記事ではあくまで主観ではありますが、そんな質問の答えを書いていきます。

不登校経験を終えてから自分の中での不登校経験の意味付けは何度か変化しましたし、実は今も変化しています。

(1)高校~大学時代

高校は受験をしてまったく誰も知らない中に入っていきました。 そこで気づいたことは、私はそれまで人と一緒にいる時間が短かったせいか、人と関わることが下手になっていたことです。

楽しく人と関わる周りと自分を比べて私は 人と同じことを楽しむことができなくなってしまった。

2年間ひとりでいたうちに、みんなは人と楽しめるスキルを身につけたんだ。

私は2年分成長が遅れているのではないかと思っていました。

高校時代はそんな私でもやさしいと言ってくれる友人たちに甘えて過ごすことができました。

そのとき不安はしばし消えていました。

しかし、この不安は大学に入ってから再発しました。

最初に入ったサークルでは周囲と話が合わなかったり、好きな音楽系のサークルも音楽の趣味が違ったり、居場所だと感じられる場所がなかったのです。

そうした中で楽しそうに過ごすみんなと私の違いを強く感じる日々で、話の合う友人もなかなかできずつらい日々を過ごしました。

2年間の差がぶり返してきました。

(2)大学カウンセリングセンター~現在 不登校経験のこわさ大学に居場所がなく、つらさがピークに達したとき、私は大学にあるカウンセリングセンターにいきました。 そこで様々なつらさがあり、それは不登校経験に原因があるのだと、話をしていくなかで意味付けに大きな変化がありました。

「誰しもとうまくやろうとしなくてもいいんだよ。」

カウンセラーの先生に言われたことでした。

私にとっては衝撃でした。

本当は興味がないのに、無理しすぎてあわせても仕方ない。

人と楽しむ何かが少ない私は、人がまだ見つけていない何かの楽しさを知っている。

今いる人と合わなければ別の人に会いに行けばいい。 いろんなことに気づきました。

「高校時代はそんな私でもやさしいと言ってくれる人たちに甘えて過ごすことができました。そのとき不安はしばし消えていました。」

上に書いた文章です。 当時はそう思っていました。でも変じゃないですか?

自分を好ましく思ってくれる人たちと楽しく過ごすことって「甘え」でしょうか?不安は消えていたって楽しく過ごせたからでは?

私は熟考の末、気づきました。

「不登校であるというマイナスがある自分は、それを補って余りあるいい人でなければならない。誰とでもうまく付き合える人間でなければならない。」 そんな風に思っていたからだと。

誰とでもうまく付き合わなければならないのに、居心地の良い友人たちに甘えて、逃げているという意識があったのです。

これが不登校経験の一番怖いところだと思います。

自分の価値を下げ、大切にすることを忘れることです。誰とでもうまく付き合うなんて無理なことをしなくともよい。

自分がいたいと思える場所にいたらいい。

自分を必要以上に責めたり追い詰めたりしなくていい。

そういう自分を大切にすることを忘れてしまうのです。

今不登校経験の一番怖いところを知った私はすぐに自分を大切にできるようになりました。

とはいっていません。

今私も現在進行形で自分を大切にすることに取り組んでいます。

長らくやってきていないため、大切にすることが苦手なのです。

不登校が始まってから今年で10年になります。

まだ影響は受けまくりそうです。

(3)私の不登校経験の絶対的プラス面

私の不登校期間には幸いにも絶対的プラス面も存在します。

それは不登校期間、養護教諭の先生方や様々な悩みを持つ同級生などと関わる中で、

いろんな人がいろんな事情をもって生きている。悩みを共有することができる間柄はとても重要で安心できて幸せなものだ。

ということを強く実感できたことです。

これは不登校期間が終わった直後から今までずっと感じているプラス面です。

今カウンセラーを目指したり、いちるに記事を投稿したりするのもここが根っこです。

(4)最後に

不登校経験は良くも悪くも私に影響してくれました。

少し前ですが、大学の後輩が昔家で飼っているねこの話をしていました。

やんちゃで、暴れていたかと思うと寝て、餌をねだったかと思うとひっかくようなねこだったそうです。

「そんなねこが家にいるから退屈はしなかったし、面倒見がいいといわれるようになった。」

「私の性格はあの子がつくったとおもう。」 後輩はそんな風に言っていました。

私は最近、不登校経験をティラノサウルスと呼んでいます。

ではでは

不登校で家に居る時に思ったこと

不登校で家に居る時に思ったこと

宇陀直紀です。前回は、「不登校のきっかけ」について書きました。

小学校に上がっても変わらず周りになじめずにおり、学校に対しては「しんどい」「つらい」「何か強制されるところ」とマイナスイメージをたくさん持っていました。

その後フリースクールに通うことになり、フリースクールに行ったり家にひきこもったりする期間が続きました。

家にひきこもっているとき、どんなことを考えていたのか振り返ってみたいと思います。

学校に行っていなくて、家にひきこもっていると親や周りの人は心配します。

でも、本人の気持ちはどうなのでしょうか。

学校に行くこと=良いこと 不登校・ひきこもり=悪いこと

という風に考えるとよくないと考えられます。しかしそれは上のような等式が成立する場合です。

私の場合、学校に行くことがつらいことだったので、家に居ることができると安心できました。誰かに攻撃されることなく、自分の好きな時間を過ごすことができたからです。

しかし、親や周りの人からは「学校に行きなさい」や「将来どうするの」と不安な言葉がたくさん投げかけられました。それは、当時の自分にとっては「今の自分はダメなんだ」という自己否定につながっていました。

経験や常識を持ってその人と「向き合う」と、本人にとってはとてもつらいときがあります。

その人に共感し「寄り添って」同じ方向を見ると、本人にとっては安心できて、自発的な行動につながっていくのではないかと私は思います。

「不登校」や「ひきこもり」の期間が続くと、不安があります。それは、親や周囲も、本人も同じように考えることと思います。

今から振り返って考えると、家に居た時間は、今後のことについていろいろと考える時間があり、無駄ではなかったと思います。

私の不登校経験

はじめまして。いちるメンバーの藤井 晴(ふじい てる)です。

いきなりですが、ネットの記事の書き手を意識されたことはありますか?

いちるの記事は、メンバーが基本となって記事を書いていきます。

それぞれのメンバーにそれぞれの分野や経験、価値観があって、それを踏まえて記事を書きます。

記事の中にはそんな背景がちらほら見え隠れしていくと思います。

「この人はどんな背景を持っているのだろう。」

「このひとはどんなことを考えているのだろう」

なんていう風にちょっと気にして読んでいただければ幸いです。

簡単なメンバー紹介はこちら↓

https://naraichiru.wordpress.com/%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

上記リンク先で簡単にかかせていただきましたが、この記事では私の経験、特に不登校経験について詳しく書いていきます。

私の不登校のきっかけ

私は中学校1年生の終わりから中学校3年生の秋まで、約2年間不登校でした。

不登校だったという話をするといつも「いじめ?」「学校があわなかった?」と聞かれます。でも違うんです。

きっかけは家庭でした。

私の親はほめない親でした。テストで100点でも家事を手伝ってもほめない親でした

小学校時代、まるで親の眼中に自分がいないような気がして、ずっと不安でした。

そんな私がほめられるべくとった方法が中学受験でした。

本来であれば中学受験は入りたいと思って目的として取り組むものでしょうが、私はほめられるための手段として取り組みました。

結果は合格でした。

でもだめでした。

親は笑顔ではありませんでした。まさか受かると思っていなかったといわれました。

後でじっくり考えてみれば驚いていたのでしょうが、そのとき私は

もう私は何をやってもほめられないのだ

そう思い、絶望したのです。

中学生活は何をしてもだめだという絶望が足を取り、何事も投げやりで人間関係も深まりませんでした。成績もどんどん下がり、孤立し、そんな自分も嫌になっていきました。

不登校になったのは1年生の冬休み明けのことでした。

不登校期間

不登校期間は何をする気も起きず、適応指導教室にもいきましたが続きませんでした。

そんな無気力な毎日を過ごして1年ほど、中学二年生のとき、始めたのがエレキベースでした。

学校も行かずに一日中家で好き勝手楽器を触るなんて何事だと思われたかもしれませんが、当時の私にとって気力の源でした。ほめられるためでなく、じぶんがしたいからするはじめてのことでした。

そして中学校3年生の秋、文化祭で転機が訪れました。

文化祭でバンド演奏を計画するグループがありました。

でもグループにはエレキベースパートが足りず、そこに参加してみないかというお誘いを先生からいただいたのです。

私は一人の演奏にも飽き、ただただ演奏したいがためだけに参加し、練習のために登校し、ライブも成功させることができました。

それ以降メンバーや先生、保健室との距離が近づきました。

保健室の先生にすごくじっくり私の話を聴いていただいたり、保健室に顔を出す友達とお互いに悩みを共有したりするなかで、だんだんと学校にいけるようになりました。

ついには12月ごろには毎日通えるようになり、卒業式では涙を流すことまでできました。