「過去の自分」

こんばんは。

いちるの中野です。

 

今回のテーマは「引きこもっている時期の周りからの目線」

このテーマを見た時、真っ先に思い浮かんだのがSNSでした。

仕事を辞め、引きこもっている時期、一番怖かったのがこのSNS。

周りからどう思われているかはもちろんのこと、何より自分が怖かったのは「過去の自分」。

学生時代からSNSを多用していた私は、その場で自身の思想や哲学、これからのキャリアプランなどを盛んに投稿していました。

その中には怠惰への批判や努力至上主義ともとれる投稿が数多くあり、どん底の精神上の時、それを見ることが心の底から怖かったのを覚えています。

 

過去の自分が、今の自分をどう見ているのか。

それが一番怖い。

だから引きこもっている間は、SNSを見るのを控えていました。

 

周りの人間からの視線も当然怖かったと言えば怖かったのですが、それよりも過去のイケイケだった自分が発言していた内容、それが怖かった。

当時の言葉が、ブーメランのように弧を描いてそのまま今の自分に突き刺さる。

 

今となってはあまり気にしなくなりましたが、当時はそれが自分にとっての脅威でした。

テーマから若干ずれたかもしれませんが、自分にとって一番厳しい評価者は自分であり、それが全てだったんです。

今後、「過去の自分」に苦しめられないよう、前を向いて生きていけるようにしていきたいなと思っています。

 

 

 

 

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不登校・ひきこもりのためのハンドブック

奈良教育大学次世代教員養成センターより、奈良県版の不登校・ひきこもりのためのハンドブックの冊子が出ました。

下記URLよりダウンロードができます。

https://ipty2014.wixsite.com/mysite/properties

子ども・若者支援専門職養成究所HP)

このハンドブックは、当事者目線を大事に作成しました。この冊子を通して、学校・社会生活に困難を感じた児童・生徒・若者が、相談でき、つながりを求め、自分のことを理解してくれる所にたどり着けるように、そして自分らしい生き方を見つけられることを願っています。(HP引用)

「いちる」も掲載されていますので、よかったらご覧になってください。

不登校ひきこもりのためのハンドブック

近所の目線が気になる 心理編

どうも、いちる研究員の藤井晴です。

いちるのメンバーとして書かせていただいていますが、いちる内では実は研究員なんです。 研究員って何するのって話なんですが、いろんなつらさ、生きづらさについての心理学の研究なんかをちょこっと紹介できればと思っています。

今回はメンバーが共通のテーマでもって書かせていただいている、近所の目線が気になるということについて、なぜ気になるの?どうすれば気にならなくなるの?というところで少し紹介させてもらおうかなと思います。個人的にはここから興味を持って調べていただけたりするともっと嬉しいです(笑)

内容の都合上、私の投稿なんかと合わせてみてもらえるとよりわかりやすいかと思います。  https://naraichiru.wordpress.com/2017/11/26/%e4%b8%8d%e7%99%bb%e6%a0%a1%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%ae%e8%bf%91%e6%89%80%e3%81%ae%e7%9b%ae%e7%b7%9a/

 

目線が気になる心理 自己注目の心理

目線が気になる心理は、自己注目の心理学として研究されています。

目線を送る近所の人が気になっているのに自己注目?と思うかもしれませんが、目線が気になるのは、実は自分が気になっているのです。

そもそも人はなるべく他者に良く思われるように様々な努力をするものです。

姿勢、ファッション、化粧、言葉遣いなど様々です。

そのうちのいくつかは自然にやっているものかもしれませんが、中には良く見せようと意図的にやっているものがありませんか?

この意図的にやっているというのはベースにあるのは「このままではいけない。」という気持ちです。

そこからどうすれば改善できるかを考えて取り組んでいるわけです。

この自分はオッケーか?ここはダメかな?と常に自分をチェックしているのです。

目線が気になる心理もこれと根底は同じと解釈します。「このままではいけない。」という現状を改善し、良い状態で人前に立ちたい。しかし不登校・引きこもりという払拭しがたい「このままではいけない。」現状がある。

目線を気にする、目線を嫌う心理はここにあります。改善しがたい「このままではいけない」を持ったまま人前に出なければならない。このしんどさがあるのです。

そしてさらに自分で「このままではいけない」とわかっているだけでもしんどいのに、その上さらに「あなたそれではいけないんじゃないの?」と言わんばかりの目線で、「このままではいけない」ということを再認識させられるわけです。

なんでこんなところにいるんだろうといぶかしむ目を見て、

「こんな時間にこんなところにいる自分はやっぱり変だよな。」

「なんで自分はうまくやれないのだろう。」といった具合です。

じゃあオッケーにすればいいという話なんですが、そうは簡単にいきません。

不登校や引きこもりがある日急に改善していくことはまずありませんし、その過程では適応指導教室やフリースクールなんかに行くための外出が有効なんですが、そうすると必然的に目線が刺さるわけです。

「変に思われるだろうから外に出たくないな」

こうなるのもある意味必然といえるのです。

目線にくじけないために

そうした目線は不登校や引きこもりから復帰しようとする人の心に冷たい現実を伝えてきます。そうした現実は確かにありますし、「そのぐらいでくじけてはだめだ。」と精神論でいきたくなる気持ちもわかるのですが、それ以前にできることもあります。

目線を気にしないためには「このままじゃだめだ。」ということを認識するだけじゃなく、「このままでは変な目で見られることもある、それでもがんばる」という覚悟が必要になります。この覚悟を持つことで、少なからず目線があり、しんどさを持ってもそこに引きずられることが少なくなります。その覚悟を持つための一助になるポイントを書いていきます。

重ねて私やメンバーの投稿と合わせてごらんになってください。↓                                                   https://naraichiru.wordpress.com/2017/11/26/%e4%b8%8d%e7%99%bb%e6%a0%a1%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%ae%e8%bf%91%e6%89%80%e3%81%ae%e7%9b%ae%e7%b7%9a/

 

1、冷たい目線を減らし、温かい目線を増やす。

テーマでは近所を上げましたが、学校の先生の家庭訪問や親の目線も登校をせかしたり、心配したりする目線であれば当事者が避けたい視線に含まれます。親は特にどうすべきか迷い、混乱して当事者に当たってしまうこともあるかもしれませんが、自分の好きなことに向かうなどして、目線を離してみるのも良いかもしれません。そして時に何の関係もないテレビや今日あったことなどを話してみると、当事者にとってはそっとしてもらえている時間となり、休むことができると思います。そうした時間で復帰のために動き出すための基本的な体力や精神力が回復していきます。

2、目線によるダメージのケア

そうしていざ復帰にと動き始めると近所の冷たい目線が刺さります。これらをすべて避けることは現実的ではありません。どうしても避けられないそうしたダメージを温かい目線をベースにケアが必要になります。またそれと同時に、上記の覚悟を決めるきっかけとしてプラスにも機能する経験として解釈していけるよう話し合えるとよいと思います。また、冷たい目線には当事者の良いところをほめつつ、「ちょっと見たぐらいの周りの他人に何が分かる。気にするな。」などそもそも気にしないように伝えていくことも重要だと考えます。

3、「このままでもいい」を意識できるようになるために

不登校や引きこもりになると、自分の良いところが見えなくなり、自分=不登校・引きこもりとなりがちです。不登校・引きこもりはマイナスでしかないととらえていれば、「このままではいけない」自分から脱することが難しくなります。そこで、支援者や親には何かしらの趣味や特技をほめ、当事者に不登校・引きこもり以外の属性を意識させることが重要になります。それにより、当事者の中で自分が「このままではいけない」部分と「このままでいい」部分に分けて考え、自己を肯定していけるようになります。また、その「このままでいい」部分は価値観など人格的なことのほうがより効果的です。これにより、「自分は不登校・引きこもりだけれどもこういうところもある。悪いばっかりじゃないから、もっと良くなるために頑張ろう」と努力できるようになると考えます。

復帰に向かう上での障害となりうる視線ですが、そうした本人の意識にちょっと思いを巡らせて、いい手立てを考える一助になればと幸いです。

 

不登校時代の近所の目線

どうも、いちるメンバーの藤井 晴です。

めっきり寒くなってきまして、家ではこたつからストーブへ、ストーブから風呂へ、風呂からベットへとぬくぬく過ごしております。寒い、外出たくない(笑)

さて今回は不登校時代を振り返って、「不登校時代の近所の目線について」というテーマで書かせていただきます。

不登校時代のことは下記リンクからぜひ↓

https://naraichiru.wordpress.com/2017/08/19/__trashed/

ちょっと時期によって違う気もしますので、分けて具体的に書いていきますね。

1、中学1年末、不登校開始直後

不登校になった直後はしんどさが先に立って、近所の目は気にならなかった、気にする余裕がなかったという印象です。なんでみんなができたことができなくなったんだろうと自分を責めるばかりで、家に閉じこもってもいましたし、気にできない状態でした。

2、中学2年生進級ごろ

2年生に進級するころになるとできないのはわかったから、早く戻らないとと焦っていた時期のように思います。このころには遅れても無理やり学校に行こうと家を出てみたりしていました。このころが近所の目線は一番嫌だった記憶があります。普通と違う時間に学校に向かう中学生を近所の人や町の人、中学校はバス通学でしたからそこで一緒に乗る人なんかが、みんながみんな不審がってみていたように感じていました。その時期が一番つらかったです。親が近所の人に説明したりしていたそうで、親伝いに近所の人のリアクションを聴いていましたが、やはり好ましいものではなかったです。

3、中学2年生中ごろ

適応指導教室に通い始めたころです。このころになると心境としては、まあもうどう転んでも自分は人と違うんだから、多少浮いたところで変わんないやと思えるようになり、バスの中なんかでも、「こんな時間にいますが何か?」といった調子でした。そのころ身に着け、今でも生きている価値観の一つに「どうせバスであった人となんかまず一生関わらんのだからどうみられるか気にするだけムダ」というのがあります。一周回って開き直った形ですね。

4、中学3年ごろ 復帰前

このころになってくると、不登校であること、人と違う経験をしていることに変な誇りみたいなものを持ってきはじめました。どんなことでもやっていくうちに身についてくるものがある。不登校をやった私には不登校でない人には身についていないものがあるのだと考え、人の目は気にならなくなりました。

5、中学3年以降 復帰後

変な誇りをそのまま持って復帰した後は改めて人と関わるようになり、同じように人が経験しないしんどい思いをしている人に出会いました。そして、そうした人の中にその人が持っていて他の人が持っていない素敵なものを見つけることができ、つくづくどんな経験も腐らないものだと開き直っていきましたし、そのころになると不登校であったことを指摘されても、「そうですよ」と明るく言い、相手をたじろがせるぐらいになりました。(笑)

最後に

近所の人の目線というのは当事者にとっては冷たく、何も直接害がなくとも居心地の悪いものです。特に自分のこうしたいというビジョンがありながら、それに向かえないとき、世間一般がこうあるべきというビジョンがありそうしたいと思いながらできないとき、特につらいものになると思いました。ただでさえつらいのにもかかわらず追い打ちのように刺さる視線に、追いつめられることもあるかもしれませんが、しょせんバスの中の人、しょせん近所の人だと思えるとずいぶん楽なように思います。

ちょっと声に出していってみませんか?

「しょせん近所の人!」

ひきこもっていた時の近所の目線・伊藤

伊藤です!

テーマ「引きこもっていた時の近所の目線」

・小学生の時の気持ちと近所の目線

私は不登校をしていた小学生の時に、学校に行けない自分を恥ずかしく思う時が数多くあり、その度に学校だけではなく家から外に出ること自体がしんどくなりました。

一歩外に出ると、歩く人々の目線が常に私を見ているような感覚になり、学校に行かないで遊んでいる悪い子に見られているんじゃないかと思い込むようになりました。

この時は、近所の目線というよりは外を歩いている全ての人の目線を気にし過ぎて、外に出るのが怖くなっていたように思います。

しかし、私の場合は幼稚園の頃からの親友が何人か居て、その子達が私を特に不登校しているからといって特別扱いをせず学校に通っている子と同じように接してくれていたので、それはすごくありがたかったです。

実際私は他の人の目線を気にしていましたが、近所の人は挨拶をするくらいで特に話したり、「あの子学校に行ってないんかな」っていう目線で見られることもありませんでした。

絶対に学校に行かなければとか、学校に行けていない自分は人より劣っていると思う必要はないと思います。学校は一つの選択肢で、それ以外にもフリースクールや適応指導教室など、いくらでも学校の代わりになる場所はあります。

学校に行ってなくても、しばらく引きこもっていても、周囲の人は案外気にしてないと思います。自分のペースで、自分の過ごしやすい居場所や友達を見つけることが出来ればそれが一番なのかなと思います。

 

 

ひきこもっていたときの近所の人の目線・上村

上村です!

最近キャンプ道具を買いすぎて金欠ぎみです(^^;)

お金がなかなかたまらないです、、、

 

今回のテーマ「ひきこもっていたときの近所の人の目線」

 

学校へ行かず家でひきこもっていたとき、近所の人の目線はやっぱり気になっていました。

でも、近所の人に直接何か言われたり、回り回って親から聞いたりとかはありませんでした。

 

それじゃあ何が気になっていたんでしょうか?

当時、僕は学校へ行くのが当たり前だと思ってました。なのに学校へ行ってない自分は、家族以外の人に見られたら怒られるんじゃないかと思っていました。

 

高校1年のある日。

その日は学校に行きたくないのに、行きたくないと親に言うことができませんでした。

時間は着々と経ち、家を出る時間になったので、しぶしぶと家を出ました。

はじめは学校へ向かう道のりを自転車で走っていたのですが、ついにしんどくなって途中で学校への道から逸れてしまいました。

自転車で知らない道を走り回っていました。

でも知ってる人に見られたり、警察に見つかったら怒られると思って、ビクビクしながら自転車を漕いでました。

学校へ行かないことで警察に怒られるわけがないのに、ましてや16歳なのに(中にもう働いている人もいるのに)、周りの目線を気にして僕はビクビクしていました。

 

学校へ行かないと自分で選択したのだから、そのことを怒る権利なんて誰にもない。

しんどいときは自分で決めて休めばいい。

と、今ならそう思います。

 

今休まないともっとしんどくなるかもしれない。

休んでエネルギーが溜まってから、また学校に行こう。

 

そう自分で考えることで、周りの人の目は気にならなくなってきました。

要は自分の都合のいいようになんでも考えれたら、気がラクになるんだと思います!笑

第1回ディアディアカフェ「不登校とわたし~不登校を振り返って~」

イベント情報です。

11月18日(土)に「不登校親の会ネットワークDear Deer」さん主催のイベントが奈良市で開催されます。

講師としてお話される方は小学3年生より不登校になり、その後定時制高校を卒業され現在は大阪府立大学で教育福祉分野・スクールソーシャルワークを学ばれている方です。私(宇陀)も何度かお話したことがありますが、不登校や、学校に行きづらい、家庭でしんどい思いをしている子どもやその親をサポートしたいという思いは自身の体験からも強く持っておられます。お話も実体験を現在の視点から分析してわかりやすく説明してくださいます。

不登校当事者の方の声が聞ける貴重な機会ですので、ぜひご参加ください!

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