一番しんどかった時にほしかった一言・働きかけ

おひさしぶりです。いちるの藤井です。

4月になり、新しい場所で新しい生活がスタートした方もいらっしゃるかと思います。

私事ですけども、私も不安だらけの大学院生活が始まり、ことあるごとにびくびくしながら生活しているところです。

 

今回からは私から提供させていただきます、新しいテーマ「一番しんどかった時にほしかった一言・働きかけ」について書いていきたいと思います。

 

こうして不登校・引きこもり経験を語るメディアをしていますが、そういう経験なんて人それぞれなんだから、聞いていても意味がないのでは・・・という声もあります。しかし、一人一人の経験が違っても、何人もの経験を聴けば、共通するところなんかがあるのではないか、それが支援の大きなヒントになるのではないかと考えています。

今回のテーマについて語ることで、そうした経験をしている人がスッと楽になるような言葉や働きかけが見つかるのでは、とそんな希望をもって考えさせていただきました。

 

私の不登校経験などについては↓から

https://naraichiru.wordpress.com/2017/08/02/%e7%a7%81%e3%81%ae%e4%b8%8d%e7%99%bb%e6%a0%a1%e7%b5%8c%e9%a8%93-2/

 

私にとって「一番しんどかったとき」は、不登校になった直後だったと思います。

 

不登校になる前、私は自分の意志ではなく、親にほめられるためだけにすべての行動をとっていました。心のエネルギーをこれでもかと使って努力して結果を出しながら、ほめられず、エネルギーの供給が受けられないなかで過ごしていました。

いろいろなことを頑張りながらも、認められることがない中で、だれも見ていないのならいっそほっといてくれ、何も意味ないとふさぎこみたい気持ちだったのを覚えています。

 

そんな私のことですから、いざ休み始めてみると、「いかないと行けないのに行けない」というよく聞かれる罪悪感のようなものはありませんでした。驚くほどにしっくり来ていたのです。

 

「評価がほしくてももらえないのなら、無駄な努力もしなければいい。」

努力しない、何もしない自分に落ち着いたと感じたように今は解釈しています。それまで評価のために動いていたわけですから、評価のための行動をやめれば何もしなくなるのはある意味当然です。

 

 

今回のテーマでいう「一番しんどかった」のはこのころです。

不登校になった。そういうときに限って、親がよく私を見たからです。

親からすれば心配になるのは当然ですし、仕方がないと今なら思うのですが、当時の私にとってそれは屈辱以外の何物でもありませんでした。

 

それ以前の頑張っていた私は見ずに、いざ問題が起こってからよく見るようになる。

いいところを見ずにダメなところだけ見られるようなものです。

不登校になったことや、先生や友達に心配されるよりもはるかに苦痛でした。

 

私を心配した母はパートを休んで家にいたりしましたが、家にいられるほうがつらいと伝えて、パート勤務を続けてもらったのを覚えています。親の視界にこのふさぎ込んだ自分が写っているのが耐えられなかったのです。

 

不登校・引きこもりになりはじめたとき、子どもは親に心配をかけたくないですし、親はこどもが心配で仕方がない。

これはおそらく私のケースだけでなく、多くの人に当てはまるものかと思います。

ここで問題になるのは、見られたくない子どもと心配な親がしばしば悪い意味で刺激しあってしまうということです。心配だから理由なんかを聞いたりすると、それがかえって子どもを苦しめる。

 

私がその当時「ほしかった関わり」は、不登校になる前と変わらないままの家庭や親の様子で接してくれることでした。本当は自分をほめてほしかったですが、私からまだそのサインは出せていませんでしたし、そこはあきらめるとして(笑)。

子どもは自分の不登校によって家庭が大きく変化してしまうと、じぶんのせいだと追い込みます。ケースごとに事情は違いますが、共通して言えるのは、その子どもは休む必要があるということじゃないかと思っています。ゆったり休める家庭で、子どもが安心して不登校できる環境を整えてほしかった。私が「ほしかった関わり」です。

 

そして私が「ほしかった一言」ですが、「今日あったことなんかをそれまで通り」言ってもらえると、さも不登校の私を心配していないかのようにふるまってくれるとありがたかったです。

 

 

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自分の不登校、ひきこもり経験をどう捉えているか 宇陀

自分の不登校、ひきこもり経験をどう捉えているか 宇陀

 

宇陀です。

 

今回は伊藤くんからのテーマで「自分の不登校、ひきこもり経験をどう捉えているか」ということで書いてみたいと思います。

 

私自身の不登校のきっかけは、以前の記事にも書かせていただきました。何か一つの要因だけでなく、学校で人の輪になかなか入れなかったり、何で学校に行かないといけないのか?などとずっと考えていました。

https://naraichiru.wordpress.com/2017/07/30/%E4%B8%8D%E7%99%BB%E6%A0%A1%E3%81%AE%E3%81%8D%E3%81%A3%E3%81%8B%E3%81%91/

 

その後、フリースクールに通うことになり、そこは自分に合っていた環境だったのではないかと思います。

 

学校では、同じ年齢の子ども同士でクラスがあり、日々その中で学んだり遊んだりしています。フリースクールでは、小学生から高校生の年齢まで、様々な人が同じ建物の中でいったりきたりをしていて、「異年齢交流」があります。私はそのような環境の中で学んだことがたくさんあるのではないか、と考えています。

 

不登校をしていた頃は、「学校に行かないと将来大変だ」(常識的な考え)⇔「学校に行っていない自分」(自分事)という中での思いの葛藤があり、苦しかった思いがあります。

今から考えると、学校に行かなかったことで得られた経験(あるいは、フリースクールに通っていることで得られた経験)は、自分にとって良かったことだと考えています。

イベント案内・『学校にいけない?いきたくない? 元当事者の語りから、子どもの心を考える』

なら人材育成協会主催の、不登校当事者が語るセミナーご案内です。

『学校にいけない?いきたくない? 元当事者の語りから、子どもの心を考える』

このセミナーでは、実際に不登校を経験した青年たちに、当時の辛かったことや嬉しかったこと、家族や周囲への思いなどを語っていただきます。学校へ行けない/行きたくないという子どもたちは何を考え、思っているのでしょうか。彼らと一緒に学び、考えてみませんか。

【日時】2018年4月21日(土)13:30~15:30
【場所】生駒市コミュニティセンター203・204会議室
【申し込み方法】電話0745-67-0104またはメールnara.jinzai@gmail.comへお願いします。
【主催】一般社団法人なら人材育成協会【協力】生駒市

不登校・ひきこもりとつながりについて

「不登校」や「ひきこもり」と聞くとどのようなイメージがありますか?怠けている、つらいことから逃げている、などといった、消極的な感情を持たれる方も多いのではないかと思います。さらに、学校or社会復帰するために「支援」してあげなければいけない対象者ともなるのではないでしょうか。

私が、学校に行かずに過ごしていたとき、町を歩いていて『今日、学校はどうしたの?』と聞かれることがとても苦痛でした。悪気があって、声をかけたわけではないと思います。しかし、その言葉の裏の意味を考えてしまい、「学校=行かなければならないところ」「学校に行けていない自分」⇒学校に行かない自分、悪いことをしている自分、と自己否定に陥ってしまいました。

学校に行っていないから、家にずっといるから、ということだけで「不登校」や「ひきこもり」の名前のついた枠に入れられて、つながりを断たれてしまうような気がします。

一度、その枠に入ってしまうと、学校に行きたい、仕事をしたい、と思ったときに、「足かせ」となります。そしてその枠が、他者とのつながりを構築していく上で「自信をもって」生きることを難しくさせているのではないでしょうか。

自分の不登校、ひきこもり経験をどう捉えているか・伊藤

こんにちは!伊藤です。

今回は「自分の不登校、ひきこもり経験を現在どのように捉えているか」をテーマに書きました。

私は、小学一年生から中学三年生までの間を不登校、または市の適応指導教室で過ごしました。

また、通信制の大学へ進学した後一年程、週に1日は外出するけど基本家で過ごす様な半分ひきこもりの生活をしていました。

どちらの経験も今思い返せば、しんどかったり辛かったりマイナスの思い出も多いです。でも、不登校やひきこもりをしていることで、同じく不登校をしている子と友達になれたり、新たな出会いや嬉しい出来事も沢山ありました。

また、不登校をしていた時は学校だけが通うべき場所で平日の居場所はそこしかないと思って悩んでいましたが、両親と一緒に探してみるとフリースクールや適応指導教室など自分に合った落ち着ける場所は見つかりました。

私は今までの経験を過去の事として忘れるのではなく、不登校やひきこもりで悩んだりしんどくなったりしている方の参考にほんの少しでもなれればいいなぁと思い、この活動を始めました。

私自身、しんどい時期に両親や友達、カウンセラーの先生など色んな人に話を聞いてもらったり応援してもらったので、私もいつかは悩んでいる人を応援出来るような存在になれるよう少しずつ頑張っていければと思っています。

 

 

不登校・ひきこもりのとき楽しかったこと 宇陀

不登校・ひきこもりのとき楽しかったこと 宇陀

 

いちるの宇陀です。

 

今回は皆、テーマトーク形式「不登校・ひきこもりのとき楽しかったこと」というテーマで書いていっています。

 

私のほうではフリースクールに通っていたときのことを書いてみたいと思います!

 

フリースクールは、施設によって活動が様々です。

基本的には、子どもが自由に活動できるように、スタッフ(大人)はそれをサポートするような形のところが多くみられます。対して、学校のようにカリキュラムが組まれているところもあります。

 

私の通っていたフリースクールの雰囲気は一言でいうと「その場にはいるけど、参加しなくても良い」ようなとても安心できる空間でした。

 

ひきこもっていた当時家ではゲームをして過ごしていました。一人で過ごす時間が多いので、「学校に行かなければならない」「このままでいいのかな」など不安なことを考えてしまうことがありました。

 

フリースクールでは、ただ毎日通って、居るだけのこともありました。それでも、無理やり輪に入るように言われたりしなかったことが安心でした。調子のよいときは、皆と一緒にゲームをすることが多かったです。ゲームでは、オンラインの対戦ゲームをフリースクールの友達と何人かでチームを組んで戦ったり、フリースクール内での対戦もしていてゲームはかなりやりこんでいたと思います笑

 

その他には、おでかけのイベントの企画をしていました。スタッフが決めるのではなく、子どもが主体となって「どこに行くか」「何をするか」といったあらゆることを話し合って決めていきました。自分たちで考えないといけないので色々調べたり、話し合ったりとしたことが楽しかった思い出です。

不登校時代に楽しかったこと 藤井

新年あけましておめでとうございます。いちるメンバーの藤井です。

今回は共通テーマで投稿しています、「不登校やひきこもりをしていた時に楽しかったこと、現在もしている趣味」について書いてみようと思います。

振り返って考えると不登校期間にして楽しかったことは、大きく3つあったように思います。そして面白いことに時期によってその3つが変化しているように思えました。

不登校が始まったころは全く何もすることがなく、ぼーっとしていたのですが、何もしないといろんなつらいことが頭をめぐるので何かしようと思い、もともと好きだったアニメを見るようになりました。YouTubeなどの動画サイトから見たいアニメを探してただただ一日中見る毎日でした。有名なONWPIECEなどはこのとき1話から最新話まで見た覚えがあります。しかし、アニメは一度パソコンの電源を切るとその世界からぷっつりと切れてしまって、現実が襲い掛かってくるようでしたし、親が仕事から帰ってきてパソコンの電源を落とすその瞬間がとても嫌だったのを覚えています。

そこで私はそのアニメのオープニングやエンディングなどの曲を録音し、パソコンの電源を落とした後も部屋で楽しむようにしました。曲を聴いているだけでその世界とつながっているようで幾分か気楽でしたし、歌ったりすることでストレス発散にもなっていたように思います。なかにはその曲を作曲しているバンドまでさかのぼって、そのバンドが作ったほかの曲なんかも楽しんでいました。いろんな曲を探しているうちに自分の感情と会った曲、今でも覚えていますが、BeasBallBearというバンドの「BoysMayCry」や、WEAVERの「管制塔」などの曲と出会って非常に救われたように感じたのを覚えています。

そうこうして曲を楽しんでいた時にベースと出会い、オープニング曲やエンディング曲なんかをコピーし始め、それが不登校から脱却するきっかけにもなりました。

現在では、アニメも人とつながるツールとして、また単純に楽しむために頻度こそ減りましたが時々見て楽しんでいます。音楽はずっと私の趣味で、「いい歌詞だな」と感じる曲は100回、200回聞いたりしています。ベースも大学でバンドを組んだり、ソロをやったりと人とつながるツールとしても趣味としても楽しめています。最近ではジャズに興味が出たりして一生モノの趣味になるのだなと感じています。