不登校で家に居る時に思ったこと

不登校で家に居る時に思ったこと

宇陀直紀です。前回は、「不登校のきっかけ」について書きました。

小学校に上がっても変わらず周りになじめずにおり、学校に対しては「しんどい」「つらい」「何か強制されるところ」とマイナスイメージをたくさん持っていました。

その後フリースクールに通うことになり、フリースクールに行ったり家にひきこもったりする期間が続きました。

家にひきこもっているとき、どんなことを考えていたのか振り返ってみたいと思います。

学校に行っていなくて、家にひきこもっていると親や周りの人は心配します。

でも、本人の気持ちはどうなのでしょうか。

学校に行くこと=良いこと 不登校・ひきこもり=悪いこと

という風に考えるとよくないと考えられます。しかしそれは上のような等式が成立する場合です。

私の場合、学校に行くことがつらいことだったので、家に居ることができると安心できました。誰かに攻撃されることなく、自分の好きな時間を過ごすことができたからです。

しかし、親や周りの人からは「学校に行きなさい」や「将来どうするの」と不安な言葉がたくさん投げかけられました。それは、当時の自分にとっては「今の自分はダメなんだ」という自己否定につながっていました。

経験や常識を持ってその人と「向き合う」と、本人にとってはとてもつらいときがあります。

その人に共感し「寄り添って」同じ方向を見ると、本人にとっては安心できて、自発的な行動につながっていくのではないかと私は思います。

「不登校」や「ひきこもり」の期間が続くと、不安があります。それは、親や周囲も、本人も同じように考えることと思います。

今から振り返って考えると、家に居た時間は、今後のことについていろいろと考える時間があり、無駄ではなかったと思います。

私の不登校経験

はじめまして。いちるメンバーの藤井 晴(ふじい てる)です。

いきなりですが、ネットの記事の書き手を意識されたことはありますか?

 

いちるの記事は、メンバーが基本となって記事を書いていきます。

それぞれのメンバーにそれぞれの分野や経験、価値観があって、それを踏まえて記事を書きます。

記事の中にはそんな背景がちらほら見え隠れしていくと思います。

「この人はどんな背景を持っているのだろう。」

「このひとはどんなことを考えているのだろう」

なんていう風にちょっと気にして読んでいただければ幸いです。

 

簡単なメンバー紹介はこちら↓

https://naraichiru.wordpress.com/%e3%83%a1%e3%83%b3%e3%83%90%e3%83%bc%e7%b4%b9%e4%bb%8b/

上記リンク先で簡単にかかせていただきましたが、この記事では私の経験、特に不登校経験について詳しく書いていきます。

 

私の不登校のきっかけ

私は中学校1年生の終わりから中学校3年生の秋まで、約2年間不登校でした。

 

不登校だったという話をするといつも「いじめ?」「学校があわなかった?」と聞かれます。でも違うんです。

 

きっかけは家庭でした。

 

私の親はほめない親でした。テストで100点でも家事を手伝ってもほめない親でした

小学校時代、まるで親の眼中に自分がいないような気がして、ずっと不安でした。

 

そんな私がほめられるべくとった方法が中学受験でした。

 

本来であれば中学受験は入りたいと思って目的として取り組むものでしょうが、私はほめられるための手段として取り組みました。

 

結果は合格でした。

 

でもだめでした。

 

親は笑顔ではありませんでした。まさか受かると思っていなかったといわれました。

後でじっくり考えてみれば驚いていたのでしょうが、そのとき私は

 

もう私は何をやってもほめられないのだ

 

そう思い、絶望したのです。

中学生活は何をしてもだめだという絶望が足を取り、何事も投げやりで人間関係も深まりませんでした。成績もどんどん下がり、孤立し、そんな自分も嫌になっていきました。

 

不登校になったのは1年生の冬休み明けのことでした。

 

不登校期間

不登校期間は何をする気も起きず、適応指導教室にもいきましたが続きませんでした。

 

そんな無気力な毎日を過ごして1年ほど、中学二年生のとき、始めたのがエレキベースでした。

 

学校も行かずに一日中家で好き勝手楽器を触るなんて何事だと思われたかもしれませんが、当時の私にとって気力の源でした。ほめられるためでなく、じぶんがしたいからするはじめてのことでした。

そして中学校3年生の秋、文化祭で転機が訪れました。

 

文化祭でバンド演奏を計画するグループがありました。

でもグループにはエレキベースパートが足りず、そこに参加してみないかというお誘いを先生からいただいたのです。

私は一人の演奏にも飽き、ただただ演奏したいがためだけに参加し、練習のために登校し、ライブも成功させることができました。

 

それ以降メンバーや先生、保健室との距離が近づきました。

保健室の先生にすごくじっくり私の話を聴いていただいたり、保健室に顔を出す友達とお互いに悩みを共有したりするなかで、だんだんと学校にいけるようになりました。

ついには12月ごろには毎日通えるようになり、卒業式では涙を流すことまでできました。

自分のペース

はじめまして。メンバーの上村康弘(かみむらやすひろ)です。

僕は学校がきらいです。すみません、学校がというのは言いすぎました。学校がというよりも、やることを強制されることがきらいです。このことは、不登校時代も、今も変わりません。

自分のペースが好き。以前このことを知人に話したら、「それは甘えやん」と言われました。自分のペースでやることは本当に甘えなのでしょうか。

僕は、小学3年生から中学1年生まで不登校でした。いじめられていたわけでも、勉強が苦手だったわけでもありません。僕自身これといった理由がわからないまま学校へ行けませんでした。今考えてみると、集団で活動したり、時間割にあわせて勉強したりして過ごす環境が合わなかったのだと思います。小学校での不登校時代、先生からの配慮で別室登校をすることになりました。学校に行くのはきらいでしたが、別室ならまだなんとか入ることができました。別室では、他の子が授業でしているプリントや通信教育の教材で勉強していました。勉強していたのはみんなが授業をしている時間ですが、やりたい問題から手をつけられることや、問題を解く時間が決まっていなかったので、のびのびと勉強することができました。わからないところがあると、その別室には先生が交代で一人ついてくれていたので、いつでも聞くことができました。

中学2年生になり、学校へ通えるようになってからも、学校の授業はわかりにくいと感じていました。授業を聞くよりも、市販の問題集で勉強することの方が、よく頭に入りました。それにもかかわらず、我慢して授業にでていたあのころの自分はすごいと思います。

小学生時代、中学生時代のことから考えると、僕は自分のペースで勉強するほうが、自分がより成長できることを実感しています。

みんなと同じことを同じペースでやることを否定はしません。そのやり方が合っている人もいると思います。人によって適した環境は違うので、みんなと同じことができないからといって、その人がダメな人とは思わないでほしいと思います。

 

「選択肢」

どん底の絶望の淵に立った時、選べる選択肢は本当に一つだけなのでしょうか。

最後の選択肢以外、何も残されていないのでしょうか。

 

 

 

 

初めまして。

中野と申します。

現在一般企業でライターの仕事をしていて、今年26歳になります。

26といえばまだまだ若造ですが、人間生きていれば、二十数年と言えど様々な修羅場に出会うものです。

自分も今まで様々な修羅場に出会ってきました。

くぐってこられた修羅場もあれば、そうでない修羅場もあります。

 

今回は自己紹介を兼ねて、ある一つの修羅場をくぐった経験を綴りたいと思います。

 

 

学生時代

 

私は学生時代、可もなく不可もなく、そこそこ学力のある生徒でした。

学校へ通い、部活をして、塾に行って1日を終える。

高校受験をして、ギリギリの進学校に入り、地方の私大に受かり、そんな順風満帆な人生を歩んでいました。

もちろん、人並みにいじめや失恋や友人との不仲なども一通り経験はしましたが、概ね「楽しかった」と言える学生生活を送っていました。

 

そして大学へ入り、学生団体という存在に出会い、いわゆる「意識高い系」と呼ばれる人になりました。

簡単に言えば、身の丈に合わないデカいこと言っちゃうイタい奴です。

元来口が達者な上に議論好きも高じて、その界隈では「出来そうな奴」に見せることが出来ていました。

特に目立って秀でた才能や能力といったものがあるわけではなく、ただ口が達者なだけで

「しっかりしている」

「自分の考えを持っている」

とチヤホヤされ、かなりいい気になっていました。

 

そんな経験が自分の自尊心を肥大化させ、大学卒業時には「俺は出来る奴なんだ」という思い上がりを持つようになります。

 

新卒1年目

 

そんなこんなで上場企業に内定をもらい、東京へ意気揚々と旅立った4月。

全国から就活競争を生き抜いた猛者が集まる場所で、私は「本当は出来なかった自分」に向き合うことになります。

田舎の大学で勘違いによって形成された「出来る自分」像は、東京の本当に出来る人たちに揉まれる中で粉々に崩れ去ります。

大概の人はそこで出来ない自分と向き合い、出来る自分像を壊し、謙虚に一から積み上げ直していけるのでしょうが、私にはそれが出来ませんでした。

邪魔をしたのは肥大化した自尊心。

出来ない自分を認められない。

自分はこんなはずじゃない、もっと出来るはずだ。

これは何かの間違いだ。

そうして自分の未熟さを認められず、出来ない自分を責め続け、自分で自分を追い詰めていくことになりました。

結果、私はそこで最後の選択肢を選んだのです。

 

評価ではなく承認

 

一度人生を諦めた私は、関西で療養することで徐々に自分を取り戻していきました。

狭い自分の価値観だけでなく、広い視野で物事を見て、実は自分が抱えている問題ってそんなに重要なことではないのではないかと、そう思えるようになりました。

確かに致命的で改善の必要があるものだけれど、改善は可能だし、何も人生を投げ出すところまでいかなくても大丈夫だと。

 

その考え方に至れたのは、周りの家族や友人、恋人のおかげです。

自分の狭い価値観を広げてくれ、「大丈夫」「何とかなる」と声をかけてくれ、のんびり生きていけばいいと話してくれました。

何より嬉しかったのは、出来るやつだろうが出来ないやつだろうが、あなたはあなたでそれ以上でも以下でもないという接し方をしてくれたことです。

そこにあるのは評価ではなく承認でした。

ただあるがままを認めてくれる、大事な大事な存在が、近くにいたことがあの時の自分を救ってくれたのだと思います。

 

最後の選択肢

 

現在自分は生きるか死ぬかの修羅場を脱し、現在サラリーマンとして働いています。

しかし当然まだまだ至らないところがあるので、失敗も数多くあります。

今日も二件スケジュール管理を間違えて早速謝ってきました。

もう嫌だな。こんな自分価値ないな。そう思うことは今でも山程あります。

いや山どころじゃなくて大陸くらいあるかもしれません。

ただ、普段からもうこんな人生を諦めてしまおうと思った時、「何か別に方法があるんじゃないか?」と考えられるよう、選択肢の幅を広く持つようにしています。

だいたい追い詰められている時って、選択肢があるのに見えてないという場合が多いように感じます。

実際私はそうでした。

なので自分の選択肢が一つしか見えないような時は、本当にそれしか選べないのか、じっくり考えてみたり周りに相談してみたりしています。

そうすることで「あ、俺まだ大丈夫だな」と安心して、この歳まで生きてきました。

 

私は今年26歳。

「この歳」なんて言いましたが、まだ人生の半分も生きていません。

この先もっとしんどいことや辛いことが待ち受けていると思いますが、最後の選択肢を選ばないよう、常に可能性を残しながら生きていきたいなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

私の不登校経験

初めまして。「いちる」コーディネーターの伊藤雅孝です。

・私が生きづらさを感じたきっかけ

私は小学校1年から不登校になりました。入学式から最初の土日までは頑張って登校したのですが、月曜日には学校が怪物に変わっていて、登校するのにものすごくエネルギーが必要になっていました。

当時の日記を見返してみると学校の階段が針の山、廊下が深い川のように凄く恐ろしいものに見えていたみたいです。

私は幼稚園がモンテッソーリ教育という個々のペースに比較的あわせてくれる所に通っていたので幼稚園と小学校とのギャップと、集団での活動に適応するのがしんどかったというのが原因ではないかと後々考えると思います。

学校に行くのがしんどくなってからは、放課後登校や保健室登校を続けつつ、市の適応指導教室のカウンセラーの先生に話を聞いてもらっていました。

小学校高学年になると、学校に行くのは「義務」でそれが出来ない自分は情けない存在なんかなと思うようになり、焦りつつも先生や両親が自分のペースでいいよ!と言ってくれたり、色々なサポートもあって少しずつみんなと一緒に給食を食べたり、遠足や校外学習に行くことが出来るようになりました。

中学生になると、新たな環境で心機一転頑張ろうと思い、一学期は毎日朝から学校に行っていたのですが、自分のペースから外れていたのか2学期からは再び学校に行けなくなりました。そこで適応指導教室に通う場所を変え、自分のペースで学ぶことにしました。

私は結局小学1年から中学3年まで学校に行ったり行かなかったり少し行ったりしましたが、学校は自分のペースではいけない、遠足やその他楽しいこともたまにはあるけどそれを大きく上回るしんどいことを強制的にさせられる負のイメージが大きい場所だと思いました。

 

 

不登校のきっかけ

初めまして。「いちる」代表の宇陀直紀です。

●「いちる」について

このブログは、奈良の生きづらさを抱えた人たちがつながるWEBメディアとして、様々な生きづらさを抱えた人の「声」を発信するためのメディアです。

「生きづらさ」と一言でまとめるのは簡単ですが、皆さんそれぞれ異なった「生きづらさ」を抱えていると思われます。

その一人ひとりの「生きづらさ」を成功体験や啓発メッセージではなく、できるだけ当事者の生の声をそのまま伝えようと、工夫して発信をしたいと考えています。

●私の生きづらさ体験

私は、小学校1年生の頃から不登校でした。
幼稚園の頃から登園渋りがちで、今から振り返って考えてみると様々な要因が重なって、学校に行かない選択を取ったのだと思います。

幼稚園生の頃、「ゲームキューブ」が流行っていました。スマブラやマリオカート、太鼓の達人など。

その頃はゲームが家になく、買ってもらうこともなかったので、友だちの家に遊びに行っても遊びの輪になかなか入れない、ということがありました。

そんなこともあり、当時好きだった「電車」で一人遊びをすることが多かったように思います。

プラレールを家の中で走らせたり時刻表を読んで旅行のようなことをして遊んだりしていました。笑

友だちと遊ぶ機会が少ないまま、幼稚園でもなかなか馴染むことができず、どこか浮いたまま行ったり行かなかったりと過ごしていました。

その後ほぼ同じメンバーで小学校に上がり、状況が変わることもなく、「孤立」していました。
先生から見ると協調性がないなど、問題のある子だと思われていたかもしれません。

小学校では入学式の次の日から休み、その後もさみだれ登校のような感じで、「学校には行きたくない」と思いながら家で過ごすことが多かったです。

小学校に上がってから変わったこととは、周りからの「学校に行きなさい」というメッセージが強く感じられたことかなと振り返って思います。

「義務教育だから行かなあかん」といったように言われていました。「学校に行ってないのに外で遊んだらあかん」と言われてますます家にこもるようになりました。

学校を休んでいると先生が毎朝迎えに来ることがあり、柱や扉にしがみついて必死に抵抗していたのを覚えています。

その頃から学校に対するイメージは、しんどい、つらい、何か強制されるところ、とマイナスのイメージばかりが強くなっていきました。